バングラデシュの印象(私感)
バングラデシュを7回訪問。
日本の昭和40年~50年代を思い出させるような社会環境。
首都のダッカは、とにかく人が多くて、活気があり、日本の高度経済成長期のころに似ています。
激しい貧富の差。お金持ちは更にお金持ちに、貧しい人はいつまでも貧しい。
でもいつかお金を儲けて、富裕層になると言う旺盛な精神が満ちています。
ダッカの街は車、CNG (三輪バイク)、リキシャ (三輪自転車)、ぼろぼろのバスが所狭しと往来しています。
車は圧倒的にトヨタのカローラ系が多く、道路は常に渋滞しています。
路肩には人々が勝手に店を出して何かを販売したりと、更に道を狭くしていることも渋滞の原因です。
ダッカ市内の慢性的な渋滞緩和のために、バングラ初となる
都市間高速鉄道・ダッカMRTが開通。川崎重工業株式会社が製造。
バングラのいたるところにモスクがあり、早朝からお祈り時間を伝える大音量の歌 (アナウンス)が流れます。
その歌からバングラの1日は始まり、人々は夜遅くまで働き、戸外で遅くまで談笑しています。
そのような光景を見ていると時間がややゆっくり流れているかのように錯覚します。
バングラデシュの国旗は、日本の日の丸を模して定められたと言われます。
赤は独立で流れた血の色。緑は緑の国土を表現。
言葉はベンガル語ですが、多くの人は英語も話します。
季節は夏 (雨季) と冬 (乾季) に分かれます。
バングラは超が付くほどの”親日国”。
理由は様々ありますが、1971年の独立後、日本が直ちに国家として承認したことや、
独立以降のバングラへの多大な支援、交流、インフラ提供などを、
学校でしっかり教えているため、日本人以上に、日本の支援を良く知っており、
日本の支援で造られた"橋"がバングラの紙幣にデザインされているほどです。
街中で”どこから来た?”と聞かれることが良くあります。
日本人だと言えば、全く知らない人がお茶やお菓子をふるまってくれることが珍しくなく、
このようなおもてなしは、見た感じが似ている中国人、韓国人に決してありません。
日本への尊敬や憧れを、感謝を感じます。
ビジネスも同様に、日本製品は優れている、日本人は嘘をつかないなどの常識のようなものがあり、
日本企業と取引をしたがる現地の企業も多くあり、私たち日本人にとっては多くなアドバンスがあります。
しかし、実際には、日本企業の進出はまだまだ中国、韓国には及ばず、ビジネスを広げていると言えませんが、
潜在的に”日本好き”の社会であり、そこには多くのビジネスチャンスがあります。
このWEBとは無関係ですが、youtubeで公開されているバングラデシュ動画参照してください。
バングラデシュの経済